『ネヴァー』決して起こってはネヴァーでございます

久しぶりに血の気が引くようなえげつなくえげつない小説を読みましたよ!

いや、もしかしたら小説を読んで血の気が引いたのはこれが初めてかもしれませんねえ。

というわけでして、ケン・フォレットさんの『ネヴァー』でございます。

ネヴァネヴァの納豆の話ではないということは、あらかじめ言っておきますよ。

引くのは、糸ではなく血の気でございます。

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ともあれ、これは一言で言うならば、現代を舞台に第一次世界大戦の勃発を再現した政治小説であります。

前書きに書かれているように、誰も望んでいなかったにも関わらず、決して起こってはネヴァーな出来事があろうことか起こってしまうのでございます。

『巨人たちの落日』を執筆するための調査をしていたとき、第一次世界大戦が誰一人欲していない戦争だったことに気が付いた。ヨーロッパのどちら側の指導者も、その戦争を起こす意図を持っていなかった。しかし、皇帝と首相が下した判断──論理的で節度のあるものだった──の一つ一つが、世界が知っているなかで最も悲惨な戦争へと、徐々にわれわれを近づけていったのである。私はそれがまったく悲劇的な偶発事故だったと信じるに至った。

そして、考えた──同じことが再現される恐れはないだろうか、と。

引用:『ネヴァー (上)』

最初はほんの些細な事件だったのでございますよ。

チャド-カメルーンの国境に架かる橋で、一人の米軍兵士がテロリストの放った凶弾に倒れるのでございまして、そしてその致命的な銃弾を放った銃と言いますのが中国製の銃だったわけでございます。

というわけでアメリカは国連決議を通して中国に「自国の兵器の流通をしっかり管理せんかい!」と注意しようとするわけですが、そっからもうやんややんやとあって結局は終末やアポカリプス、あるいはカタストロフィとも呼ばれるえげつないやつを呼び起こしてしまうことになるのでございますよ。

徐々にじわじわと世界が破滅に向かっていきます。

さて、なんと言ってもこのお話の一番恐ろしいところは、アメリカも中国も、お互いに事態をエスカレートさせないよう細心の注意を払ってできるかぎり事を荒立てないように対応しようとしたにも関わらず、しかしながらそれでも事態は着実に最悪の方向に向かって行ってしまうというところにあります。

それぞれの政府の方針は、作中ではこのようなセリフで表現されております。

われわれは強くなくてはなりませんが、無謀であってはなりません。抑制しなくてはなりませんが、弱くあってもなりません。あくまでも同等のことをし返すのであって、それ以上でも、それ以下でもないようにすべきだと考えます。

引用:『ネヴァー (中)』

そして一見問題なさそうに見えるこの方針が、後に大問題を引き起こすのでございますよ。

政府内、国民、あるいは世界に対する自国の面子を保ちつつも相手を本気で怒らせないよう、やり過ぎない程度、そしてやらなすぎない程度に報復しようとするのですが、これがまずかった。

こちらが「同等のやり返しならば相手も矛を収めてくれるだろう」と思ってやり返したら運悪く相手も同じように考えてやり返してきて、それならばもう一度、となった挙句に悲劇が起こるのでございます。

難しいのは、「同等の」というところでございます。

これはあくまでも自分たちの考える「同等の」であって、相手方は必ずしもこの仕返しを「同等の」ものとは考えなかったというわけであります。

私は『帰ってきたヒトラー』の感想でも、人は見たいものだけを見て聞きたいことだけを聞くと書きましたが、結局はこれなのでございます。

『ネヴァー』でも、人々が自分の理解したいことを理解したいように理解した結果、誤解がさらなる誤解を生み、すべてとっちらけになっていきます。

さてここで、「どちらかがやり返すのを我慢したら良いのではないか」と言われたら、確かにその通りかもしれませんが、しかしながら冷静に考えると現実にそうするのはなかなか難しいと思うところでございます。

やり返すのを我慢しようにも、やはりここで面子の問題が絡んでくるのでそう簡単にはいかんのでございますよ。

あっちを立てればこっちが立たないといった具合で、事はそう簡単ではありません。

仮にどちらかがどこかで報復を我慢したとしても、政府の強硬派は怒り狂い、国民はなぜやり返さんのかと抗議し、下手をするともしかしたらその態度を弱腰だと見た他国がこれを機に侵略を試みてくる可能性すらあるのでございます。

と、そんな感じで面子と誤解がさらなる災厄を呼び起こすわけですが、その根底には世の中の複雑さが横たわっていると見たウサオジでございます。

風が吹けば桶屋が儲かる的な、後になって言われてみればなるほどと思うけれども事前に予測するのは到底不可能な展開が立て続けに起きるんですねえ。

ありとあらゆる物事が複雑に絡み合っているがために、何をやったら何が起こるかなんて結局は誰にもわからんのでございます。

もしかしたら、仮にどちらかがやり返さなかったとしても戦争は避けられなかったのかもしれません。

アメリカ合衆国大統領がこう言ったように、世の中には簡単に解決できない難しい問題もあるのでございますよ。

簡単な問題はすぐに解決できるわ、すると、難しい問題だけが残ることになる。それが、簡単な答えを持つ政治家を決して信用すべきでない理由よ。

引用:『ネヴァー (下)』

そして終盤、大統領は「私はどこで間違ったのか」と自問するのですが、それは結局誰にも分からないことではないでしょうか。

一体どうしたら良かったのでしょうかねえ?

この小説からいくつかの教訓を学ぶことができるかもしれませんし、あるいは結局のところ「だめなときは何をやってもだめ」という身も蓋もない結論に落ち着くかもしれませんが、それは読む人次第でございます。

ともあれ、この悲惨がどのように出来し、最終的にどこへ向かっていくのかはぜひとも皆様の目でお確かめいただければと思います。

というわけでして、最後に私から冬休みの宿題をひとつ皆様に出しておきますよ。

各自、『ネヴァー』を読んで何がどこで間違ってしまったのか、そしてどうしたら良かったのかを新年までに考えてくるように。

それでは親愛なる読者の皆様、良いお年を、でございます。

おしまい。