努力でございます

今日は書くことがありませんでしたので、てきとーにインターネットで話題でも拾ってくるとしましょうかねえ。

というわけでして、探していたらなんとなく「努力」というワードが気になりましたので、今日は「努力」について語りましょう。

さて、私ウサオジはこの「努力」という言葉があまり好きではありません、というよりは、正直に言って少なくともシイタケと同じくらいには嫌いでございます。

というかむしろ、他人に向かって偉そうに努力だ何だとわんわんやかましく言っとる連中が嫌いなわけですねえ。

ああいった手合いの大半は要するに、具体的なことな何も言わんくせに、相手がうまくいかんかったら「結果が出ないのは努力じゃない」だとか何だとかそれっぽいこと言って攻撃して、逆に相手がうまくいったら「ほぉら、自分の言った通りじゃあないかい」と上から目線で偉そうにしたいだけの、つまりは自らの手を汚さずしておいしいところだけお手軽にいただこうとする卑怯者のような感じがするんですよねえ。

努力などと言うものは、後付けの結果論でどうとでも言えてしまうのでございます。

そして残念なことに、後付け結果論の胡散臭い「努力」などではなく、正真正銘の「努力」とは何たるかを示せる者はあまり多くありません。

しかしながら、何を隠そう私はウサオジでございますからして、ここはひとつ皆様に正真正銘の努力とは何たるか、それを示してご覧に入れましょう。

それは、うまいものを食べる、ということでございますよ。

うまいものをしこたま食べることによって「うまい」という結果が残りますからして、これは明らかに正真正銘の努力でございます。

例えば、私にとってうまいものは、カレー、ラーメン、ハンバーグ、焼肉、唐揚げ、ピザ、スパゲッティなどでございます。

ちなみに、私の今夜の夕食はゴーヤチャンプルーでございました。

無論、うまかったのでございます。

さて、一口に「うまい食べ物」と言っても、人によって何をうまいと感じるかは十人十色でございまして、それこそシイタケをうまいと言う方もいらっしゃることでしょう。

つまり、努力というものはどこぞの他人にどうこう言うことのできるものではなく、自分で探し出して見つけるものなのでございますよ。

というわけでございますからして、私はこれを書き終えたら早速冷凍庫を漁ってまたうまいものを見つけ出してこようと思います。

たしかアイスがまだいくつか残っていたはず。

おしまい。