『囚われのスナイパー』ボブ・リー・スワガーでございます

今日は久しぶりに『トップガン マーヴェリック』の話題から離れて、最近読んだ本について語りましょう。

ちなみに、最近本のネタで書いていないなあと思って調べてみたところ、一番最近ので5月上旬でしたよ。

usaoji.hatenablog.com

かなりのご無沙汰でございます。

ともあれ早速書いていきましょう、今回の話題はスティーヴン・ハンターが織り成すスワガー・サーガ最新作『囚われのスナイパー』でございます。

私にとって、映画と言えば『トップガン マーヴェリック』なのでございますが、小説と言えばスワガー・サーガだと言えるくらいのお気に入りの作品群でございまして、今作はそれの、最新作でございます。

さて、とりあえず上巻のおしまいあたりまでのあらすじをご説明いたしますと、前作『狙撃手のゲーム』で、ボブはアメリカの超重要ターゲットを狙うスナイパーをすんでのところで倒したわけですが、今作ではそれがきっかけでえらく面倒な事態に陥ってしまうのでございますよ。

ボブが国家の敵を倒しアメリカを救ったことが、ふとしたきっかけでアメリカ中に知れ渡るところとなってしまい一躍アメリカの英雄となってしまったわけですが、しかしそれで万事OKというわけではないのでございます。

その事件がある下院議員の目に留まり、今まで数々のターゲットを葬ってきたボブが、今度は議員連中の訴追のターゲットにされてしまうわけですよ。

曰く、「力の行使」がどうだとかで。

要するに連中の問題は、ボブの力の行使は果たして本当に英雄的な行為だったのか、その力の行使には本当にどこにも問題がなく正真正銘の正当なものだったのか、ということでございます。

今回のお相手はスナイパーでもテロリストでもなんでもなく、そしてそれどころか兵士ですらない議員でございます。

まさかまさかの展開ですよ、これは。

さてその一方で、それとほとんど時を同じくして5人の極め付きのワルが警官との撃ち合いの末、刑務所に放り込まれるところとなるのでございますが、ある日、奇しくもボブの公聴会が開かれていたその日、彼ら5人は脱獄を試みるのでございます。

そして脱獄を果たしたワル5人は、その勢いでボブの公聴会が開かれている講堂に乗り込み、ボブや議員、その他メディア関係者などの参加者を人質に立てこもり事件を起こすといったわけですよ。

また、公聴会の人質立てこもり事件が展開される一方で、同時にボブの、というよりはスワガー家のルーツ、起源も明かされるわけでして、このシリーズを1作目の『極大射程』から読み続けてきたファンの一人である私といたしましては、それはもうお腹いっぱいな内容でしたねえ。

こういったいわゆるキャラクター物の作品における、登場人物の核心に迫るような展開は醍醐味のひとつでございますよ。

現代の人質事件と交互に語られる一昔前の西洋版時代劇とも言えるエピソードが、良いアクセントになっておりました。

さて、長々とあらすじを語ってまいりましたが、これの一番面白いのは議員連中が「いかなる状況でも力の行使はやっちゃいかん。必要なのは愛と平和なんだよキミ」といった具合でやり合っているその瞬間に、まさにその「力の行使」が必要とされる場面がやってきてしてしまうことでございます。

愛と平和の対極の存在である究極の乱暴者を前に、果たして愛と平和は通用するのか?

このシーンは実に風刺的で面白かった。

この極限の状況において愛と平和は通用するのか、あるいは「力の行使」こそが唯一の解決策となるのか、ドキドキのハラハラでございます。

またここで、上の方でちょいと触れた疑問、ボブは果たして「英雄」なのか、あるいは「殺人者」なのかということについてでございますが、要するにこれは視点の問題のような気がするというのが私見でございます。

ある立場に立って考えれば彼は英雄になるのと同じく、また違う立場に立って考えれば彼はただの殺人者となるのでございます。

英雄と殺人者、それらは一見したところ両極端の存在のような気がしますが、実はそうではなく、結局のところ、どちらも同じものを指しているのではないでしょうか。

故に、ボブは英雄と殺人者そのどちらでもある、というのが私の答えとなります。

そしてこれは単にボブだけの問題ではなく、世の中の何事もそういったような感じがしますよ。

いつの世も、白黒はっきりできることばかりではないのでございます。

あっちからしたら正当な行為でも、こっちからしたら不当な暴力だなんてことは、そこらじゅうに転がっておりますから。

ともあれ、ボブとしては自分が英雄か殺人者なのかなんてことは歯牙にもかけず、ただひたすらに己の義務、責務、務めを果たすのでございまして、そこがボブ・リー・スワガーというキャラクターの魅力のひとつだと思うウサオジでございます。

作中、ボブは公聴会にて議員の面々を前にして、ジョージ・オーウェルが言ったとされる言葉を引用しこう語るのでございますけれども、これこそがボブ・リー・スワガーなのでございますよ。

彼はこう言いました。"何千何万のひとびとが毎夜、安全にベッドで眠っていられるのは、荒っぽい男たちが彼らに成り代わって暴力をふるう用意をしているからだ"

(中略)

わたしはそういう荒っぽい男たちのひとりです。もっと安楽に暮らしているひとびとは考えようともしない、暴力行為をおこなってきました。だれもあえてやろうとはしないであろうほど、大勢の人間を殺し、その対価はほかのだれでもなく、わたしが支払ってきたのであって、あなたがたはわたしが見る夢を見たいとは思わないでしょう。ではあっても、わたしは荒っぽい男であることに誇りを持っています。殺される必要があるひとびとは実際にいるのであり、もしそういう場合になれば、ほとんどのひとがお認めになるように、職務として殺害を行う人間が必要とされるようになります。

引用:『囚われのスナイパー 上』

というわけでして、風刺の効いた展開、明かされるスワガーのルーツなど、面白い仕掛けに満ち満ちた素晴らしい作品でございました。

さて最後に、本書巻末の謝辞にて書かれていたところによりますと、どうやらお次はボブの親父さんのアール・スワガーの物語が描かれるそうですよ。

こちらの発売が今から楽しみでございますねえ。

おしまい。