先日は『すずめの戸締まり』を観てきたわけですけれども、一度見てしまった後となってはもはやストーリーのネタバレとかそういうのは考えなくて良くなりましたので、今はもういろいろな人の感想などを読みまくっているウサオジでございます。
そして気づいたのですが、この映画には語られなかった部分、読者の解釈に任せる部分が多いなあと思いました。
と言いますのも、人によっていろいろな切り口で解釈していたりするのですよ。
鈴芽とその育ての親である叔母の環との関係性だったり、あるいは閉じ師と要石についてだったり、はたまたこの作品自体に隠された意味だったり。
それで私は思いました、こうやっていろいろ語れる作品は良いですねえ、と。
この作品はもう、至るところにそういった語るポイントがあるんですよねえ。
語りどころまみれですよ。
小難しいことなんて考えずにただ作品のストーリーをなぞるだけでも、笑いどころあり泣きどころありの熱気むんむん胸熱映画でしたし、腰を据えて物語に隠された意味を探索しても楽しめる、そんな映画でした。
特に、いろいろと考察だったり解釈だったりなんだったりを読んでいて思ったのが、この作品は、観客がいろいろと語るために十分な要素は出しているけど答えをすべては出さず、ある程度先は読者の解釈に任せるような感じがするということでございます。
こういうのを「行間を読む」って言うんでしょうかねえ?
これは映画ですからあるいは「フレーム間を読む」って言った方が良いもかもしれませんが、ともかくまあそんなところでございますよ。
表現され切っていない部分に想像を巡らせるような映画でございます。
というわけでして、昨日のブログでちょいと書きましたが、もはや観るたびごとに新しい発見がある。
これは面白い、面白いですよこれは!
『すずめの戸締まり』は一度観るだけで終わらせるにはもったいない映画でございます。
何度も繰り返し観て自分の中でゆっくり咀嚼することで得られるものがある、そんな映画でございます。
それに、小説も出ているそうですからして、映画とはまた違った形で楽しむことができそうですよ。
小説も必ず今度読んでみるとしましょう。
今読んでいるやつが終わったら、次は『すずめの戸締まり』で決まりですねえ!
ちなみに、今読んでいるやつが上下巻合わせて900ページくらいあるのですが、まだ上巻の300ページを超えたばかりくらいなのは秘密でございます。
ともあれ、『すずめの戸締まり』は観るたびに発見のある面白い作品ですので、私はまた観ようと思いますよ。
今週もまた『すずめの戸締まり』でございます。
ウサオジは再び行ってまいります。
おしまい。