『かがみの孤城』は自分の居場所がどこにもないと思える人に観てほしい映画でございました

※例によって例の通りネタバレの貰い事故にご用心でございます。

 

今日はこのために有給を取ったと言っても過言ではない、というかそもそもまさにこのためにこそ有給を取ったわけですけれども、遂に観てまいりましたよ、『かがみの孤城』を!

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今月の頭に、私は「来るべき熱気むんむん映画を見つけてしまったかもしれない」と書きましたけれども、やはり私の目に狂いはなかった。

これはもうなんと言うか、物凄くこう、心が震えてむんむんと熱くなるような映画でしたよ。

『RRR』のような熱さとは違いますけれども、でもこれは確かに熱気むんむんでございました。

ハートフルな熱気むんむん。

さて、本作は、学校での居場所を失い部屋に閉じこもるようになった「こころ」という名の中学1年生の少女が、ある日光り輝く鏡の中に導かれるように入ってしまったことをきっかけに始まるファンタジーでございます。

その鏡の中には、周りには海以外何もないところにぽつんと建っているお城があり、そしてこころと同じように鏡の中に迷い込んだ他の中学生が6人おりまして、みんなして一体なんじゃいこりゃあとびっくり仰天していると、狼のお面を被ったオオカミさまと名乗る少女が「期限内にこの城に隠された鍵を見つけたら、どんな願いも叶えてやろう」と言うのでございます。

しかしながら、願いを叶えられるのは7人の中で鍵を見つけた1人だけ。

しかも誰かが願いを叶えたらこのお城での記憶は全員の中から抹消される。

と、そんな感じで始まりました本作『かがみの孤城』ですけれども、ここからですよ、本当に物凄くなってくるのは!

まず、主人公のこころが学校に通えなくなった理由と言いますのが、いわゆる「いじめ」というやつでございます。

ふとしたきっかけから同級生たちによるいじめが始まって、それが日増しにどんどんエスカレートし、しまいには唯一の友達との仲まで引き裂かれる。

しかも、最初は自分がいじめられていることを親にも言い出せず、その沈んだ気持ちを映したかのように電気を消した薄暗い部屋にこもって時間が経つのをやり過ごす日々。

そんな日々を過ごすうちに、ある日突然鏡の中へと招かれ、他の6人の中学生と鍵を探したり遊んだりして少しずつ打ち解けていくわけですけれども、その後しばらく経ったとき、ここに集まった他の6人も実はみんな学校に通っていない、というか通えていないということが明らかになるのでございます。

あるいはこう言っても良いでしょう、このお城に集められた7人の共通点は「自分の居場所がない」と感じているところでございました。

もうね、この「自分には居場所がない」っていう感覚が痛いほど分かるんですよ、かく言う私もこの7人と同じくらいの年にはいじめに遭っていましたから。

だからこれを観ていて、7人全員がとても他人とは思えなかった。

私の場合は部活の上級生にやられていただけで、不幸中の幸いにも同級生の中には仲の良い人がいたのですけれども、でもいじめられていると、本当にその間はもう「自分の周りは全部敵」みたいに思えてくるんですよねえ。

誰も信用できなくなる。

それに、それは不信か、それともいじめられていることを認められない自分のプライドなのか、あるいはその他の得体の知れない何なのかは私にもよく分かりませんけれども、なぜか親にもそのことを正直に話せないんですよ。

だから親とも腹を割って話すことができなくて、家にいてもなんとなく落ち着かない。

しかも、学生のときなんて大体居場所と言えば家と学校くらいなもんで、人によっては他に習い事だったりがあるのかもしれませんが、まあそんなもんですよ、居場所の手札は決して多くない。

なんだったら、習い事でもそこに一緒にいるのはほぼ全員が学校と同じメンツだったりしますからねえ、物凄く狭い世界でございます。

私の場合は中学生時代は塾に通っておりましたけれども、そこに通っているのはほとんど同じ学校のメンツでしたし、しかもなんならいじめてきた上級生も同じ塾に通っておりましたから、廊下やトイレですれ違うたびに毎回死ぬ思いでしたよ。

どんな肝試しを持ってきたとしても、あれには敵うまい。

というわけですから、どこかで追い詰められてしまうと、まるで世界全体が敵になったような気がして、もうどうにもならない鬱屈した気持ちになってしまうんですよねえ。

作中でも、現実の世界を映すシーンはお城のシーンと比べてどことなく色褪せた感じで描かれておりましたけれども、まさにそんな感じでございます。

私は彼らとは違って学校には通っておりましたけれども、それはほんの紙一重の違いで、もしかしたら彼らのようになっていた可能性は常にあったのでございますよ。

ともあれ、そんなこんなで現実の世界に居場所がないと感じている7人が鏡の世界で出会い、そしてそこが徐々に彼らの居場所になっていく、それがこの物語の大筋でございます。

その過程でいろいろと衝突やすれ違いがあったりもしますけれども、そういったことを全部ひっくるめて、自分は世界から爪弾きにされてしまったと感じている中学生7人が、お互いにお互いの居場所になっていくところが印象的でございました。

それで、私は思ったんですけれども、この作品の伝えたかったことは「今いる場所だけが居場所じゃない」とか「自分の居場所はきっとどこかに見つかる」とか、あるいは「自分が誰かの居場所になることもできる」みたいなところなのかなあと。

まだうまく説明できませんが、なんとなくそんな感じがいたします。

きっと、「自分の居場所がどこにもない」みたいな感覚は、中学生のような多感なお年頃の若者の専売特許ではなく、どんな年代のどんな人であっても感じることはあるでしょう。

しかしながらそういった状況であっても、作中でこころたちが鏡の世界で自分の居場所を見つけたのと同じように、自分だけの「鏡の世界」を見つけられるかもしれない、そんな励ましを感じます。

あるいは、自分はどん底の最底辺にいると感じている誰かを見つけたときには、たとえ自分も同じような境遇であったとしてもそういった人に手を差し伸べて自分が誰かの居場所になることができるという希望かもしれません。

ともあれ、というわけでして、『かがみの孤城』は「自分の居場所がどこにもない」と感じる人に観てほしいと思える、めっちゃくちゃに愛に溢れる優しい作品でございました。

こんな心が震える作品は滅多にありませんよ。

まだ語りたいことはいっぱいありそうですから、きっとまた『かがみの孤城』をネタにして何か書くでしょう。

さてところで、ここで誤解しないでいただきたいのですけれども、私は泣いていませんよ?

ハードボイルドな男は決して涙を見せません。

とりあえずのところは、本作を観るときは色の濃いサングラスが必携とだけ言っておきましょう。

さてと、また近いうちに観に行くとしましょうかねえ。

おしまい。