『非常宣言』人間の強さと弱さを見せつけられました

いやはや、昨日はまた『非常宣言』を観てまいりましたよ。

相変わらず物凄かった!

一体何がそんなに凄いかって言ったら、人間の描き方ですよ、人間の描き方!

飛行中の飛行機という逃げ場のない密室を舞台に、殺人ウイルスという見えざる敵を前にしてパニックを起こす乗客を通して描き出される「人間」という存在に、ひたすら圧倒される2時間半弱でございました。

生きるか死ぬかというギリギリの瀬戸際に追い込まれたとき、「自分さえ良ければ」といった思いを持ったりするのも人間ですし、しかしそれでも他の人のことを思いやれるのもまた人間、そんな様子が空飛ぶ棺桶と化したKI501便を中心として描かれておりました。

例えば、印象的だったのはウイルスの症状が出ている人と出ていない人を機内で別々の場所に移動させるというシーンでございます。

ここに一人、めっちゃめちゃに興奮して頭に血が上っているオジサンが出てくるのですけれども、彼がまたとんでもなく人間臭くて良い。

人間のオイニーがむんむん。

このオジサンは、症状が出ていないゾーンにいる女子高生グループの1人に症状が出ているのを目ざとく見つけ、「お前、症状が出てるだろ!あっちへ行け!」と激しく怒鳴りつけて症状が出ているゾーンへと強引に引っ張り出そうとするわけでございます。

一見したところただのクソ野郎みたいに描かれているんですけれども、やり方はどうあれ、そうしたくなる気持ちも分からんわけでもない。

それに、見方によっては症状を隠して症状が出ていない人ゾーンに留まろうとした女子高生の方が悪いと考えることもできますし、そしてまたそちらの気持ちも分かってしまうのでございます。

誰だって感染者とは一緒にはいたくないし、死屍累々の感染者ゾーンに友人と別れてたった一人で行きたくもありませんから。

ともあれそんなこんなもあって、一瞬で事態が紛糾して阿鼻叫喚の大騒ぎになるのですけれども、このシーンは実によくパニックになった人々を描いているなあと思いましたねえ。

さすがに密室で殺人ウイルスに襲われるまではいかなくとも、程度の差こそあれどちょっとした危機だったりなんだったりがあると、人間って容易に身勝手な方向に傾いてしまうじゃないですか。

卑近なところだと、ちょっとした悪事がバレそうになったときに他人のせいにするとかそういう感じの。

そしてまた忘れてはいけないのが、オジサンと女子高生を取り巻くその他の乗客の存在でございます。

今目の前に悲劇に彼らが何をしたかと言えば、何もしない。

何もしなかったのでございます。

ただ見ているだけ。

もしかしたら、「何もできない」と言うべきなのかもしれません。

ここで「どのようにすべきか」という問いに正解はありませんし、そもそもこういった問題に自ら首を突っ込もうとするような人はそうはいないでしょうし、これもある意味で人間の弱さなのかもしれません。

そんな感じで、窮地に追い込まれた人間の弱さがひしひしと伝わる名シーンでございました。

しかしながら、このシーンはそれだけでは終わりませんでして、ここにきて乗客の1人が「アンタ!娘ほどの年の子に何やってんの!?」とオジサンを怒鳴りつけるわけですよ。

そんでもって、オジサンに怒鳴りつけられていた女子高生の手を取って、なだめながら一緒に症状が出ているゾーンへと出て行くわけでございます、自分はまだ症状が出ていないのに。

この対応が正しかったのか、その判断はできませんけれども、しかしただ同じ飛行機に乗り合わせただけの見ず知らずの他人にあれほどのことをするとは、驚く他ありません。

これは、人間の強さでもあるのかもしれませんねえ。

さて他にも、KI501便はホノルルから追い返され、ようやっとの思いで韓国にたどりついたと思いきや、今度は韓国からも追い返されそうになるのですけれども、このシーンも非常に印象的でしたよ。

治療法の見つからない殺人ウイルスを運ぶ飛行機を一度着陸させてしまったら、いくら防疫体制が整っていたとしても万が一というものがある。

ということで韓国国内の世論は紛糾し、KI501便の着陸に反対する者たちが出てきて、なんと空港の滑走路を占拠してしまうのでございます。

しかし一方で、反対する者と同様にKI501便に賛成する者も出てくる。

そんなこんなで地上も大騒ぎになってしまうのですけれども、ここでKI501便の乗客はひとつの決断を下すのでございます。

我々はどこにも着陸しない、と。

家族や友人、大切な人が苦しむのなら自分が苦しんだ方が良い、ということで乗客一同は最後の最後の土壇場で、かねてよりの着陸の願いを自ら捨て去って決意するのでございます。

そこで、正規の機長や機長代理、そして副機長の代わりに急遽操縦桿を握ることとなったたまたま乗り合わせた元機長が、このKI501便の決定を伝える際に管制塔に対して「人間は臆病で弱い。しかし決断することはできる」というようなことを言っておりましたが、まさにこれこそが人間なのだろうと、私はそう思います。

すぐ目の前にある脅威を前に、人間はいとも簡単にその臆病さをさらけ出し、他人のことなど考えられなくなってしまうこともあります。

そして、本作のテロ実行犯のように、そもそもそんな大惨事を自ら生み出してしまうのも人間なのかもしれません。

しかしながら一方で、そういった状況でも人間は、それでも他人のことを考え決断することもできる存在でもある。

というわけでして、人間の弱さだったり強さだったりと真正面から向き合った、そんな映画だと思いました。

『非常宣言』、これはただのパニック映画ではありませんでしたよ。

さて、他にもこういった人間らしさと真っ向から向き合ったシーンはありましたけれども、そろそろ長くなってまいりましたので、今日はこの辺で勘弁してやりましょう。

しかしこれだけは言っておきます。

今回はお話できませんでしたけれども、地上でテロの捜査を行う刑事たちのチーム長を務める「兄貴」の活躍は見逃せませんよ!

部下が「兄貴」と慕うのも納得なほど兄貴でございました。

あれが兄貴でないのなら、兄貴と呼べるほどの人間はこの世には存在しないでしょう。

ともあれ、本作『非常宣言』には、年初からとんでもないものを見せつけられたなあという思いでいっぱいでございます。

おしまい。