ウサオジという男、『ミッション:インポッシブル/デッドレコニング PART ONE』を観る PART TWO

先日は『ミッション:インポッシブル/デッドレコニング PART ONE』をIMAXレーザー/GTテクノロジーで観てまいりましたが、やっぱり凄かった!

巨大なスクリーンで興奮も巨大でございます!

やはり、冗談みたいに馬鹿でかいスクリーンで観る映画は良い。

興奮もひとしおでございますねえ。

本作は目を見張るような激しいシーンがそこかしこに溢れておりますから、巨大なスクリーンで観るとさらに迫力が加速しますねえ。

ともあれ、本作観ていて強く感じたのは、トム・クルーズの映画作りに対する信念でございました。

『トップガン マーヴェリック』のときに、どこかのインターネット記事で「トム・クルーズはこのパンデミックの状況でも劇場での公開にこだわった」というのを読み「確かにこれは劇場で観るべき映画だ!」と思いましたけれども、やはり今回の『ミッション:インポッシブル/デッドレコニング PART ONE』も劇場の巨大なスクリーンと圧倒的な音響で観るべき映画でございました。

昨今はウイルス感染の脅威も手伝ってわざわざ映画館へ行かずともストリーミングサービスで映画を鑑賞するという流れが強くなりつつあるのかもしれませんが、そういう時代にあっても敢えて劇場公開にこだわるのがトム・クルーズという男でございます。

トム・クルーズという男は、自宅のちっちゃいモニターに収まるような男ではない。

そしてトム・クルーズが戦っているもうひとつの相手は、テクノロジーでございます。

最近のハリウッドのストライキでもAIの使用が焦点のひとつになっているらしいですが、そういった諸々のテクノロジーに屈することなく、それどころかテクノロジーを踏み台にしてやってのけるのがトム・クルーズでございますよ。

生身の人間が敢えて危険なスタントに取り組まなくても、スタジオであれこれやんややんやとやったらうまい具合に映像が出来てしまうような時代にあっても、わざわざ自らの命を危険にさらしてスタントに取り組む、そういう男でございます。

この『ミッション:インポッシブル/デッドレコニング PART ONE』という作品のストーリー自体が「生身の人間であるイーサン・ハントとデジタル世界を支配する最強の人工知能の対決」であり、トム・クルーズの映画作りの姿勢と重なりますねえ。

そういえば昨年公開の傑作『トップガン マーヴェリック』でも、「これからは無人機の時代だ。時代遅れのパイロットはいずれ不要になる」というようなことを言った上官に対して、「そうだとしても、今日じゃない」とマーヴェリックは言い放つわけですが、「そうだとしても、今日じゃない」、このせりふこそがトム・クルーズを象徴しているような気がします。

トム・クルーズはいかにテクノロジーが発展しようとも、決して自分の体を張るのをやめるような男ではない。

むしろ、いかにテクノロジーを活用して常軌を逸したアクションが出来るかを考えている。

そしてこの『ミッション:インポッシブル』という映画シリーズは、そんなトム・クルーズという男がその時代のテクノロジーを活用し自らの技量と知恵の限りを尽くして史上最高に常軌を逸したことをやる、いわばトム・クルーズのデモ映像みたいなものだと私は考えております。

「今日の俺はこんなことができるぞ!」というトム・クルーズの叫びですよ、この映画は。

今日のトム・クルーズは空港を縦横無尽に駆け巡ることができるし、ローマ市内を車で爆走することもできれば、バイクで断崖絶壁から飛び降りることができ、暴走する鉄道の上で強敵と格闘戦を繰り広げることだってできる。

そして何より、未来を読むことのできる全知全能の最強AIの予測を上回ることだってできる。

予測不能な男トム・クルーズは、まだまだ止まりませんよ。

トム・クルーズは限界を超えるし、限界はトム・クルーズを超えられない。

であるからして、アクション映画俳優トム・クルーズが必要でなくなる日は今日じゃない。

そして、そんなとんでもない常軌を逸した規格外の超絶アクションの迫力を余すことなく伝えられるのは、そこら辺のちっちゃいモニターではなく、巨大な映画館のスクリーンなのでございます。

全身でトム・クルーズを浴びてこい!

さあ、もうここまで来てしまったら、明日のトム・クルーズがどうなっているのか楽しみで落ち着く暇もありませんねえ。

『ミッション:インポッシブル/デッドレコニング PART TWO』では、彼は一体どこまで限界のさらにその先に行ってしまうんでしょうか!?

おしまい。