ウサオジという男と、小さいバッグを持つ女

ウサオジという男と、キャッシュレスの時代 - ウサオジのブログ

さすがウサオジさん!ついでに、できる女は小さいバッグを持つものだ、という定説も論破したってください!

2023/10/28 00:35

先日の記事のコメントでリクエストいただきましたので、今日はこれについて書こうと思います。

Clarice(id:Lavandula-pinnata)さん、リクエストありがとうございます。

とは言ったものの、しかしながらまずそもそも私自身がむしろそれとは対極の「デカいバッグを持つ男」ですからして、この問題にはあまりにも縁が無さ過ぎるのですが、とは言えここはひとつ成し遂げてご覧に入れましょう。

さて、私はそもそもこの定説についてまったく聞いたことがありませんでしたので、まずはこの説について調べるところから始めましょう。

敵を知らずして敵と戦うことはできない。

それでとりあえず「できる女 バッグ 小さい」という何の捻りもない検索ワードで少し調べてみたら、こういうのを見つけました。

shop.beprice.jp

他にも似たようなことを書いているサイトがありましたが、どうも要旨としてはプライベート、とりわけデートにおいて女性は小さいバッグを持つのがよろしいとされているようですねえ。

というわけで、どうもこの説はまったくの嘘っぱちというわけではなさそうですよ。

さて、前置きでずいぶんと長く引っ張ってきましたけれども、それではここらでひとつ、私の考えを開陳いたしましょう。

つまりは、「できる女は小さいバッグを持つ」という主張はデタラメもいいところだということでございます。

考えてみればすぐに分かることですけれども、実際に「できる女」と評価される女性がいたとして、しかしその人が大きいバッグを手にしたならばその途端たちまちのうちに「できない女」になるかと言えば、決してそうではない。

そんなコメディみたいなことがあってたまるか。

であるからして、「バッグの大きさ」はできる/できないを評価する指標としてふさわしくないと言えます。

そもそも、人間としての評価を身につけている物だけで評価するのはまったくもって馬鹿げている。

人間を評価するのであれば、例えば知性や品格のようなその人固有の能力、人格を含めて判断した方が良いでしょう。

その知性や品格その他諸々の優れた人格の結果として小さいバッグの選択に至り「できる」と評されていると考えるのが順当ですし、逆に小さいバッグを持っていても知性や品格の伴わないぱっぱらぱーの阿呆間抜けだったら「できる」と評されるはずはない。

あるいは人格が優れていればたとえ大きなバッグを使っていたとしても「できない」と言われることはないでしょう、と言いたいところではありますけれども、残念ながらもしも評価する側がぱっぱらぱーの阿呆間抜けだった場合は、バッグのサイズだけ見て「できない」とか言い出しかねないのが難しいところでございますねえ。

故に、私はこう考えます。

身に付けている物を変えるだけで「できる」ようになると思う連中も阿呆ならば、身につけている物だけを見てその人を「できる」と評価するような連中も阿呆である、と。

本当に「できる」人物とは、いつだって身一つで勝負できるよう鍛錬を積み、また、身に付けている物に惑わされず相手の人格を見て評価できるような人物のことを言うのではないでしょうか。

頑張りましょう。

おしまい。