『きっと、うまくいく』定期的に観たくなるめちょめちょインド映画

今回は映画の感想でございます。

観たのは、『きっと、うまくいく』というインドの映画。

ちなみに2021/02/20時点では、アマゾンプライム会員ならば無料で見ることができます。

きっと、うまくいく(字幕版)

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この映画結構くせが強めなのですが、定期的に観たくなってしまいます。

くせになる味、と言ったところでしょうか。

しかしながら問題は上映時間が3時間弱と少し長く、観るための覚悟がなかなか決まらないことです。

休日の3時間をこのとんでもインド映画に割いてしまって良いものか、いつも迷って結局観なかったり観たりするのですが、今日は観ました。

実は私はもう4,5回はこの映画を観ているのですが、いつ観ても何度観てもなかなか飽きない内容です。

次の展開が完全に分かっていてもつい観たくなってしまうし、それでもなお楽しませてくれます。

観るまでのハードルが若干高いのですが、観れば間違いなく楽しめる名作なのです。

 

さて肝心の内容はと言いますと、3人のいかれた男たちがいかれたことを終始やっている映画です。

まったく内容が伝わらない説明で申し訳ないのですが、3時間の内容を一言で表すのはとても難しいのです。

ざっくり言いますならば、泣いて笑ってめちょめちょになれる、そんな映画です。

ちなみに原題は『3 Idiots』であり、日本語にするなら『3バカ』。

そして上にも書きました通り、3人のバカが縦横無尽に活躍するのです。

 

例えば映画の序盤では、3バカのひとりが離陸する飛行機内で発作が起きたふりをして空港に引き返すところから始まります。

そしてうまいこと空港に戻ってきたと思いきや、お次は他人が予約していたタクシーをその人物になりすましてそのまま乗っていきます。

そこでもう一人のバカをタクシーで拾うのですが、そのもう一人はなんとズボンを履き忘れてしまうのです。

そんな感じで、なにがなんだかもう分からないような具合でめちょめちょな展開にいつ観ても笑ってしまうのですが、そこから物語は始まっていくわけでして、さらにめちょめちょになっていきます。

そして、3人目のバカがそれはもう強烈なやつでランチョーという名前なのですが、初登場したシーンでなんと大学の先輩を感電させます。

感電と言いましても、比喩的な意味ではございません。

文字通り電気を通してしまうのです。

と言いますのも、大学の先輩が新人いびりの一環で言いがかりをつけてきて、学生寮のランチョーの部屋のドアに立小便を引っかけるのですが、ランチョーはうまいことやってそこに電気を通してしまうわけですねえ。

いやはやこれはもう。

まあ、これをお読みの男性諸氏の苦悶の声が聞こえそうなのでこれ以上は言いませんが、そんな感じなのです。

文字通り電撃的な登場をランチョーはするのです。

というわけでして、皆様におかれましてもドアに立小便を引っかけるときはご注意ください。

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ところで、もう何がなんだか分からないめちょめちょなふざけたコメディ映画かと言えば、完全にそうとも言えないところがこの映画の真骨頂でして、ふざけていると思ったら真面目だし、真面目だと思ったらふざけているのです。

この映画のテーマのひとつが学歴競争で、えぐいくらいの競争社会が3バカの学生生活を通して描かれます。

内容としては過去パートと現在パートに分かれておりまして、過去の方の主な舞台がインドの工科大学なのですが、そこでもう初っ端から勝つか負けるか、食うか食われるか、みたいなやりとりが繰り広げられます。

そしてこの大学の学長がなかなか個性的なオヤジで、学歴競争の権化みたいなやつなのです。

他人を蹴落としてでものし上がれ、という主張を繰り返し繰り返し伝えてきます。

まあそんなこんなで学歴競争について折に触れて描かれるのですが、遂には学生が自殺したりもするわけです。

自分の成績を苦にして、死者が出るのです。

 

さて、ここでまたあのランチョーがやってくれるのですが、上で申し上げました通りこいつもまあそれはもう個性的なやつでして、学長を始めとする学歴主義の権化みたいな連中に真っ向から挑んでいくのです。

学長を始めとする大半の登場人物は、大学での勉強は良い職を得て素晴らしい人生を歩むための手段に過ぎないと考えているのですが、ランチョーだけは違いまして、このランチョーにとっては勉強そのものこそが目的だったりするのです。

彼は単純に、大学で学ぶことを楽しんでいるわけです。

一方、ランチョーを一方的にライバル視しているチャトゥルという男がいるのですが、こいつがまあ清々しいくらいに勉強を成功するための手段だと考えているのです。

いわば学長の学生版みたいなやつですねえ。

ちなみに本当にどうでもよいことなのですが、このチャトゥルという男、臭いすかしっ屁をするためにあだ名がサイレンサーと呼ばれております。

おまけに、自分のすかしっ屁を近くにいた他人のものだと言い張って責任逃れをするような最低なやつなのです。

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まあそれはそれとして、このランチョーとチャトゥル、この2人の考え方が如実に表れているシーンがありまして、それが大学の講義で担当の教授に「機械」の定義を尋ねられるシーンです。

ランチョーは「人間の労力や時間を節約するもの」みたいな平易な言い回しで回答するのですが、一方でチャトゥルは教科書に書いてある小難しい定義をまるっと全部暗唱しだすのです。

結果、教授はランチョーに対して「簡単なのがいいなら文系に行け」と一蹴して、チャトゥルの回答を正解とするのですが、これがこの大学における勉強の立ち位置を明確に表しているような象徴的なシーンでした。

ちなみに、私ウサオジは簡単なのが良いので文系に行った身でございます。

 

とは言え、この考え方はインドだけに言えることでもなく、日本で育った私も同じだったなあ、としみじみと思ったわけであります。

私が学生だったときにも、学生は先生に言われたことをそのまま受け入れ、教科書に書かれたことをそのまま覚えるのを良しとしていたような記憶があります。

もっとも、私が主体的に学ぼうとしていなかったせいもあるとは思いますが、なぜそれを勉強するのか、それを学ぶことのどこが面白いのか、そういったところをすっぽかして、とりあえず教科書に書いてあるから、あるいはテストに出るからとにかく覚えろ、そんな風潮が強かった記憶です。

そして今になって思えば、そうやってなんとなく学生時代になんとなく押し込んだ知識の数々が、もうほとんど抜けてしまっているなあと思っている次第であります。

そもそもわざわざ今になって振り返らずとも、テストが終わったらもう既に忘れていたような気もします。

私にとっても、勉強は点数を取るための道具でしかなかったというわけですねえ。

とりあえず、臭い屁をすかしてまいります。

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それはさておき、競争の結果、人が死ななければいけなくなるような世界はひどく息苦しいと思いますので、もっとこう、なんとなくゆったりだらりと余裕のある世の中が良いなあと私は思う次第であります。

勝利か死か、みたいなものは革命家だけで十分でございます。

しかしながら、今の日本の世の中も、ある意味ではこの映画と同じような気もします。

何につけても成長だの成功だのなんだのとまくしたててとりあえず右も左も分からないまま前に突き進ませ、隙さえあればすぐ他人と優劣を比べだす。

そしてちょっとでも遅れたら、ここぞとばかりにやれレールから外れただの底辺だのなんだのと言われるわけでございます。

とは言いつつ、私自身もそういった幾多の死体の上に成り立つ利便性に寄りかかって生きているのも確かですので、なんとも言えない気分になるのです。

しかし私はもう、そういう競争には疲れたなあと思っている次第であります。

私はちょっと休みますので、皆さんはどうぞお先に進みください。

さて、ここらでもう一発だけ臭い屁をすかしておきましょうか。

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さあ、いよいよ話が長くなってきて収集がつかなくなってまいりましたが、マンガの打ち切りのように唐突にここらへんで終わろうかと思います。

なにせ3時間の映画ですので、語ろうと思えばいくらでも語れてしまうのです。

とりあえず、いろいろな観点で視聴できて面白い映画である、ということが伝われば十分でございます。

というわけでして、また続きを書くのは別の機会にしようかと思います。

 

あ、そういえば"値札人間"というのも登場するのでございまして・・・

 

おしまい。