さあ、今日も今日とて『かがみの孤城』について語ってやりましょう!
語ってやりますとも。
今朝方、昨日申し上げました通り、映画『かがみの孤城』を観てまいりました。
小説も読んだし、映画も観た、これは語る他ありませんねえ!
さて、それで思ったのですけれども、もしかしたらこの『かがみの孤城』には「フィクションが現実の世界を救うというファンタジー」という一面があったのかもしれません。
作中では、こころを始めとする7人、どこか生きづらさを感じている7人は幸運にもかがみの孤城という居場所を与えられたわけですけれども、この城は考えようによっては現実離れしたフィクションの世界でございます。
学校があって同級生や家族や他の人たちがいる現実の世界と、出会うはずの無かった7人とオオカミさまが出会う鏡の中のフィクションの世界。
そんなフィクションの世界での出来事が7人それぞれに影響を与え、少しずつ未来への希望のようなものを見出すきっかけとなっていく、そんなお話でもありました。
フィクションが現実世界を生きる人に希望を与える、それはこの作品の中だけのことではなく、私たちのいるこの世界においてもそうなのではないかと思います。
映画に小説、それにマンガやゲームといった諸々のフィクションが、この世界に生きる誰かの希望となっているかもしれません。
何を隠そう、私自身がまさにそういった幾多のフィクションの物語に支えられて今まで生きてきたことを、本作を通じて思い出しました。
私ウサオジは、学生時代はゲームばかりやっておりましたし、社会人になってからは小説を延々と読みふけっておりましたからねえ。
そして、ここ最近は映画を観まくっているのは今更言うまでもありません。
今思えば、フィクションだらけですよ、私の人生は。
確かに、かがみの孤城が午前9時から午後5時までの制限付きの世界であったのと同じように、映画や小説などのフィクションの世界にもいつまでもいられるわけではありません。
しかしながら、そのようなかりそめの世界であっても、一時的には厳しい現実からの逃げ場となり、現実の世界に立ち向かうエネルギーを得ることができます。
「居場所と言うのは、何も現実の世界の中だけにあるわけではない」、そんなメッセージを感じます。
ロクでもないことばっかり起きる現実世界からちょいと逃げてみて、フィクションの世界で態勢を立て直す、そういった手もあるのかもしれません。
というわけでして、本作『かがみの孤城』にはフィクションの持つ力を見せつけられたような気がしました。
フィクションが現実を救うファンタジー、『かがみの孤城』はそんな素敵な作品でございます。
おしまい。