『逆転のトライアングル』よく分からん映画でございました

さあ、昨日は『逆転のトライアングル』を観てきたわけですけれども、ここはひとつ前置き抜きにざっくばらんに感想を言ってやろうではありませんか。

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なんだかよく分からない映画でした。

おしまい…というのは冗談でして、さすがにもうちょいと書きます。

とは言え、「なんだかよく分からない映画」というのがこの映画に対する主だった感想なのですけれども、まあ本当に一体何がしたいんだかよう分からん作品を2時間も観せられたわけでございまして、おまけにテンポもあまり良くないこともあって、正直言って鑑賞するのが苦痛でしたねえ。

高そうなレストランで会計をどっちが払うかで揉める売れないモデルの男と売れっ子モデルの女のカップル、そしたら今度は豪華客船でパーティー三昧からのゲロとクソ三昧の中、共産主義者のアメリカ人の船長と反共産主義者のロシア人の乗客がトークバトルしてそのまま難破、お次は流れ着いた孤島でのサバイバルが始まって客船のトイレの掃除婦がサバイバル能力を発揮してその場を取り仕切ったと思いきや、その掃除婦は冴えないモデルの色男と夜な夜な「勤しむ」わけですよ。

はあ、日曜の夜に一体何を観たのでしょうかねえ、私は。

とりあえず全身の集中力という集中力を結集して最後まで頑張って鑑賞し切ったわけですけれども、結局さっぱりなにも分かりませんでした。

この映画は結局何がしたかったんでしょうか。

最初の会計のシーンでは、男女間でよくあるデート代をどっちが払うか問題を皮切りにそういった男女の問題について切り込んでいくのかと思いましたけれども、しかしそれは序盤だけで、中盤に至ってはもう怒涛の迸るゲロとクソ塗れでして、私が思うに、この映画を作った連中は如何に訳の分からない映像作品をでっちあげるかに躍起になっていたのでしょう、多分。

この映画の有り様を一番象徴していたのは、中盤のゲロとクソに塗れたきったないシーンだと思いますねえ。

つまりカオスですよ、カオス。

いやはや、本当によく分からん映画でございました。

最初はきっと何か伝えたいことがあるのだろうとは思えたのですけれども、その正体が一体何なのか、その尻尾すら掴むことすらできないままに2時間が過ぎてしまいましたよ。

とりあえずいつも通りパンフレットを買ってきましたので、パンフレットをぼちぼち読んだり、それに加えてインターネットでも調べたりしてこの作品への理解を深めようと努力してみましたが、結局分かったのは、どうもこの作品は社会風刺とかの類でして、容姿や貧富の差とか、あるいはそういった格差が置かれた状況によってコロッと変わってしまうといったことを描いた作品らしいということでございます。

しかしながら、そういうことを踏まえて改めて考えてみても、あれこれやりたいことが多すぎて、結局は全部取っ散らかってしまったのだろうなあという印象しか受けませんでした。

おいしい料理を作ろうと、ありとあらゆる好みの食べ物を全部一緒くたにして料理した挙句、残飯みたいな悲惨な存在をでっちあげてしまった、みたいな感じでございます。

しかもテンポの悪いストーリーの進み具合、輪をかけて何を伝えたいんだかよく分からないラストシーンも手伝って、まあ最悪な2時間でしたよ。

最初にこうなるって分かってたら、間違いなくもう一度『BLUE GIANT』観に行ってました。

ともあれ、今まで重要だと思っていたものが一瞬で価値を失ったり、あるいは面白いと思って観た映画がとんでもなくつまらなかったりするのが、人生というものなのかもしれませんねえ。

おしまい。